2015年11月30日

老子(救われますぜ、旦那。)※わざと下卑てみた。

2015年11月30日(月)
老子 岩波文庫ワイド
p101~105 第22章

 曲がっているからいいとか、屈(かが)まっているから真っ直ぐになれたり、少なければ得られたり、といくつも例が出ている。

 僕は、調子が悪いから調子がいい日が来ることができ、首が潰れているから伸びることができ、負けているからトントンを目指せ、現在能力が低いから伸ばすことができる。こういう逆説的に言って、否定的なものを肯定へと転換する目線が得られている。非常にネガティブに明るい光を照らす、発送の逆転を行っている。暗いままでいず、逆転してみせる、面白い言いかただった。

 中盤、後半は、倫理的な表現で、こういうのが好きならば論としては至極まっとうで、当たり前のことを言っているだけだ。学ぶこともない。


 自ら才知を誇らないから、長続きする、と書かれている、引用(蜂屋邦夫:訳)しました。




老子と太極拳 清水豊
 p83 第22章 

(引用:
 老子は、この章では太極拳の「曲中球直(きょくちゅうきゅうちょく)」の極意を語っている。老子の言うのは、次の如くである。
「曲がれるは、すなわち全(まった)かる」
「枉(よこしま)なるは、すなわち直(ただ)し」
 一見して、曲がっていて使い物にならないようなものこそが、完全なのである。一見して好ましくないようなものこそが、正しいものなのである。このように老子は述べている。




引用者:kurage0147130:いやあ、こういうの読みたかったですよ。この僕の中途半端な、煮え切らない態度と状態、首の潰れた宙ぶらりんな不完全さ。これらを照らしてくれます。アウトサイドを救う言葉だと思う。力強い。いいなあ。
posted by kurage0147130 at 21:17| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月29日

2015/11/29(SUN) 荘子 老子 / 自己観

2015年11月29日(日)
荘子Ⅰ 中公クラシックス
内篇 第2斉物論篇
8 p35~37

 言ったことがはっきりしないまま発言することが、ひな鳥のさえずりと違うといえるか、と手厳しい内容が語られる。是非の対立は、明らかな知恵によって照らして解決されるのが一番いい、みたいなことが書かれている。
 僕も、はっきりしないまま、曖昧なまま書くことが多いけれど、伝わらないということかもしれない。熟成されていなければ、発することは意味を持たないし、理解されないということなのだろう。


2015年11月29日(日)
老子入門 講談社学術文庫 楠山春樹:20章:p64~70

老子の独白の文とかって書いてあったと思ったけれど、老子は、みなはうまくやっているのに、自分は鈍臭く、のろのろやっている、うまく立ち振る舞うなんてできない・ただ道を歩くのみだ、みたいなことを書いていて愚痴になっている。立派な人として登場しないで、周回遅れのビリケツとして登場していて親近感が持てる。自虐的に書かなくてもいいのにと思うけれど、格好悪く書いてある。


自己観

 僕は世間の波から外れて生きてきたけれど、そろそろ復帰したいとは思っている。そんなに自分を卑下したりしたくないし、前向きな自己観が欲しいと思っている。老荘を読んでいるのは、100de名著老子・荘子を読んだから。特に荘子に惹かれた。何か学んでやろうという魂胆から興味を持った。
主流になれなくても、4流くらいの位置にはつけたい。落っこちたまま終わりたくない。
能力も高めたい。上達したいし、活発になりたい。古い自己観に縛られたままいたいわけではない。刷新したいと思っている。

 そして道に近づき、安定した自己が欲しいと思っている。

 僕は競争したいわけではないし、勝ちたいわけでもない。自分と密になり、はっきりさせたいだけだ。旗手鮮明にしたいだけ。老荘は周回遅れの僕には心地よく聞こえる・読める。

 将来的には違う人の本に惹かれるのかもしれない。僕は倫理が好きだ。
posted by kurage0147130 at 20:01| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月27日

2015/11/27(Fri) 老子21章 

2015年11月27日(金)
老子 岩波文庫ワイド
p97~100 第21章

 ここの章はそのまま読んでも、現代語訳でも何を言っているのかさっぱりわからん。また出てきた道についてだけれど。それでこちらに頼った。以下。


老子入門 講談社学術文庫
(引用:楠山春樹:p122~125:

 十四章が感覚的に「道」をとらえようとする趣旨であったのに対して、二十一章は、瞑想的に思念することによって、「道」を探求する形の記述である。「象」「物」「精」と続く順序は、「道」のありさまを思念して、外側からしだいに核心に迫るさまを示しているのであろう。

 ところで、「道」の核心である「精」とは、「道」の霊妙なはたらきをいう。万物を生み、養い育て、また、天地間に秩序をもたらす、そのはたらきである。「精」の語義はきわめて多面的であるが、この場合、生命力・活力・エネルギーというようなニュアンスであって造化を促す精気とでもいうことになろう。~)



(引用者:kurage0147130::もっと引用したいけれど、転載になりそうだからカット。この本を読んで、少しはわかった気になる。でも、おぼろげだなあ。太極拳そのものが道なのだろうか? 怪しい理解だ。
 道はエネルギーであり、母なる大地・宙ともいうような揺りかご(どこかに書いてあったような)みたいなものらしい)




老子と太極拳 第21章 P80~82


(引用:清水豊:~「体験」の共有がなければ、タントラばかりではなく、あらゆる神秘学のテキストは正しく理解することはできないのである。~

 合気道における「攻防の象徴化」とは、攻防の究極にあるのは、対立ではなく和合である、とする植草盛平の悟りであった。攻防は対立の極みである。しかし、攻防を行おうとするならば、相手と無関係でいることはできない。つまり、攻防を反対の立場からみれば、ここに、触れ合いのあることが分かるのであり、ここに、おおいなる和合を見いだすことが可能であったのである。~)


(引用者:kurage0147130:面白い部分です。確かに戦いは相手との関係であり、倒すにしろ相手なしにはあり得ない。相手との協力がある。いくら敵と味方といえども、関係性があり、協力関係がある。おもしろい。)
posted by kurage0147130 at 21:06| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月25日

2015/11/25水・餃子を囲む日 荘子

2015年11月25日(水)
荘子Ⅰ 中公クラシックス
内篇 第2斉物論篇
6・7 p32~35

(引用:P34:
 もし、自分に自然にそなわっている心に従い、これをわが師とするならば、だれでも自分の師をもたないものはないことになる。この師は自然にそなわるものであり、あれこれと、これに代わるものを捜したすえに、自分の心が選び取ったわけのものではない。だから、この心の師は、どんな愚かなものでもこれを心にそなえているのである。)



引用者:kurage0147130:この文章は自分に贈りたい。僕は最近ずっと迷走している。心が定まらず、あやふやになっている。自分の心が師で、その心を聞き、それを大事に思い、従っていこう、尊重しようという姿勢は、いまの僕に大事なものだ。男というキーワードに向き合いきれていないというのもあると思う。抑圧者の僕は迷走・低迷し続けている。

 心に耳を傾ける、というゆっくりとした行為を大事に思い、育む、 6 の文章のように、あくせくと人生が終わってしまった、憑りつかれたまま時間が過ぎる、憑依と偏った集中と心の忘却のままに、今の僕のように、過ごすのは避けたい。心と身体の声に耳を傾けるのが太極拳なのかもしれない。
posted by kurage0147130 at 17:11| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

2015/11/24(Tue)米搗(こめつ)きちゅーちゅー

2015年11月24日(火)
老子 岩波文庫ワイド
p89~96 第20章
 
 老子の言う道というのは、得る人は世間とズレてしまうのだなと思った。僕は世間とずれているので資格はあると思う。世間との折り合いが悪いというのは、折り紙つきだ。
 老子は道を得たかもしれないが、寂しい生活を送っている(世間的には)。でもたぶん、満ち足りてゆったりとして幸福なのだろうと想像する。


2015年11月24日(火)
荘子=超俗の境へ 講談社選書メチエ、蜂屋邦夫、2002 
p123

(引用:~
 道は、彼(かれ)と是(これ)とか、是(ぜ)と非(ひ)とか、あらゆる差別をそのうちに包み込んでいながら、何も差別しない。自然界の事象も人間界の事象も、細かく区別していけば、「窮(きわ)まり無い」が、そのすべてが道に包み込まれる。~
~ )


引用者:kurage0147130:区別しないというところだけを取ると、良いも悪いも全部ひっくるめ、世間的な価値観もそうでない価値観も受容し、全てがない混ぜになった混沌の世界が道なのだろうかと想像した。

 僕には差別や区別がたくさんあり苦しんできたが、全部を包摂し、受容し、混沌に触れていく、全部ないまぜの世界が道なのだろうと感想を持った。それなら理解できるし、アプローチのしようもあるというものだ。



老子と太極拳  第20章 p77~79
p79

(引用:~
 「至静」とは、動かないことではない。意識が、一定の深いレベルに入ることなのである。意識の深いレベルに入って、生成の根源とひとつになる体験を得ることなのである。~

 陰陽の視点からすれば、むしろ動いた方が、心は静を得やすいこととなる。つまり、身が動であれば、心は静となり、身が静であれば、心が動となるからである。これは「内静外動」「外動内静」ともいわれている。



引用者:kurage0147130:この章の文で、一定の姿勢で根源的な力が開かれる、と書かれていたけれど、この引用文の最後の至静で、動いた方が静を心は得やすいと書かれている。
 太極拳は心と身体の訓練みたいだな。


posted by kurage0147130 at 21:49| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月23日

2015/11/23 5 感情に乗っ取られた心と身体

2015年11月23日(月)

荘子Ⅰ 中公クラシックス
内篇 第2斉物論篇
5 p29~32


 人間の感情は湧き起って、次から次へと自分を支配する。考えも次々入れ替わり、僕は翻弄され続けている。このように僕はバカ騒ぎを毎日繰り返している。僕は僕自身の感情や考えに乗っ取られ続けている。本にあるようにそれは自分がやっていることだけれど、その支配者は誰かということ。

 これを読んでいて感じるけれど、バカ騒ぎを続けていいはずがない。やめられるならやめたい。次々やっていても、しょうがない。降りる方法はあるのか。道を見つけられれば、降りられるのか。

 支配者が誰かの前に、知らなければならないものがあり、それがわかれば支配者の姿も 自(おのず)とわかるとか。そのように書かれている。

 あまり先行きを期待していないで読んでいきたいとは思う。斉物論篇を読み終わるには時間がかかる。ゆっくりいこう。


もぐら交通機関で、
・荘子=超俗の境へ 講談社選書メチエ、蜂屋邦夫、2002 
も読んでいるので、こちらで先に答えが出ると思う。
posted by kurage0147130 at 19:54| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月22日

2015/11/22 33 44 55 続けばおもしろい・・・



2015年11月22日(日)

老子 岩波文庫ワイド
p85~88 第19章


 小細工をやめれば、世の中は良くなると。(引用:私心をへらし、欲望を少なくする、と。)

 というようなことらしいから、自分の肥大した心をコントロールして、欲望を減らすことができると言っているのだろう。


 最近僕が感じているのは、聞いたり見たり感じたり考えたりという自分の行為を大事にし、自分の活動と捉えれば、自分はしっかりするのではないかと思っている。この4つの行為は自分の活動で自分の感覚だと。ここを押えて、ここから発展できるようにいつかなれたらいいな。




老子と太極拳 第19章 p73~76

 シンプルなことが道らしいと読んで感じた。道は特別なことではなく、囚(とら)われの心がなく、簡単に世界が見えれば、近くに道はあるのかも。でもよくわからない。

 太極拳の練習はサボってばかりになっている。何とか軌道に乗せたい。10分ずつでもいいのだし。
posted by kurage0147130 at 21:11| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月20日

2015/11/20(FRI)  荘子(焼き直し)

2015年11月20日(金)
荘子Ⅰ 中公クラシックス
内篇 第2斉物論篇

 荘子の感想を書いてきましたが、よくわからず理解できないまま進んできました。




☆☆荘子=超俗の境へ 講談社選書メチエ、蜂屋邦夫、2002 

 を交通機関で読んできましたが、p106 荘子思想の核心―斉物の理論 まで来まして、僕の理解があまりに浅かったらしく、未消化のままだったらしいのがぼんやりわかりました。この本で展開されている内容が全部についてだったら良いのですが、一部しか取り上げられていないので僕の理解も限定されます。わかったことだけでも焼き直したいと思います。浅い理解ですが、もい一度振り返りたい。

・荘子=超俗の境へ 講談社選書メチエ、蜂屋邦夫、2002 
2天地自然と「心」との連関

 斉物論の1の文章について説明がなされていて、南郭子綦の放心した様子を見た顔成子游は、「先生の身体は枯れ木で心は死灰にようです」

 この枯れ木や死灰について説明が本にあって、

(引用:p104 心身共に天地自然の世界と完全に同化し、自己という枠組みを超越してしまった姿を形容している。)


(引用:p104 「忘れる(喪れる)」ということは荘子の思想のキーワードの一つであるが、それには、ただの物忘れとは違って、きわめて奥深い意味がある。~) 


ここで説明が切れている。よくわからないまま保留となっている。


そして人籟・地籟・天籟の説明があり、籟(らい)は簫(しょう)、16管の竹製の笛のことで、

(引用:p105 簫管には長短があり、さまざまな音を出すが、それぞれの管はそれにふさわしい音を出すに過ぎず、その間に優劣の違いはないということを言う点にあったのだ、と解釈されている。この解釈には、優劣の観点を持ち込んだ点でやや問題があるが、)


となっている。この引用は、郭注や成疏によれば、と書かれているので引用らしい。ここまできて、とにかく、僕が最初に受けた印象とはだいぶ違うところに来た。


2についても、説明があり、

(引用:p107 この文章は、古来、風の情景を活写した名文として有名である。確かに、なかなかのもので、荘子の時代に、こうした自然描写の文章は他にはないことを考えれば、ますます評価は高まろう。)


 荘子は、紀元前の人だった気がした(?たぶん?)。その文章が読めて、僕も参加し、何か得ようとすることは、個人的な活動とはいえ不思議な気もする。
(おわり)
posted by kurage0147130 at 20:39| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

2015/11/19 荘子

2015年11月19日(木)

荘子Ⅰ 中公クラシックス
内篇 第2斉物論篇
p27~29


 凡人の揺れ動く姿が書かれているのだと思う。大きい人間と小さい人間(凡人)の対比で話は進む。


 物と交わるという言い方で書かれるけれど、僕は本を買うことに執着し、次々本を検索している。本当の本の活用は、読むことで買うことではない。読んでどう考えるのか、それが財産になると思う。そうすると、僕の本を検索する行為というのは、やはりこの話のように物と交わる不潔な存在と一緒だ。物・本にあくせくし、執着し、自分が使うのではなく使わされている。執着を離れるのが、道というものがわかる時なのか? 



 荘子の本のように僕は煩悩の中で、本への執着の中で、命をすり減らしている。僕は本をコントロールできていない。本の奴隷になって、あくせくしているだけだ。太極拳をやれば、道を見つけられ、欲望からも離れることが可能になるのか? それは期待していない。でも、道に近づこうと伏線を張っておくのは有効だと思う。



 僕の毎日のみじめな、煩悩まみれの、小さくつまらない日常が明るみに出るような文章だった。今日は女性の色香に執着し、まいった。
posted by kurage0147130 at 20:54| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月18日

2015/11/18(水泳日)ではなくて(水曜日)



2015年11月18日(水)

老子 岩波文庫ワイド
p82~84 第18章

 道が廃れてから仁義が説かれるようになった、とあるけれど、政治が乱れて政治ってなんだとなったとも言えると思う。国家が乱れて忠臣が現れるようになった、とも書いてある。聡明な新しいスター(泥臭くていい)が欲しいとは思う。



老子と太極拳 p69~72

引用:清水豊: 

八卦拳の宮宝斉先師は、~ 質問をしてもまったく套路を思い出せなかったという。しかし、起式から始めると、一套の動きを、迷うことなく行うことができたのであった。こうした状態は、套路の執着から逃れていることの、ひとつの例として考えることができよう。



引用者:kurage0147130:僕は記憶力が悪く、認識力も弱い、だから、この先生みたいに名前と照らし合わせて覚えるのは苦手だ。流れとして覚える方が僕に向いているやり方だ。
posted by kurage0147130 at 21:17| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

2015/11/17(Tue)

2015年11月17日(火)

荘子Ⅰ 中公クラシックス
内篇 第2斉物論篇
p25~26


p26 引用:森三樹三郎:~
 だが、ひるがえって考えてみると、風のないところでは、洞穴も音を立てない。つまり地上のざわめきは、音のない風を必要とするのである。音もなく目にも見えない風、その意味では無にもひとしい、風が必要なのである。いいかえれば、万物の根源には、無のはたらきがある。


引用者:kurage0147130:天籟は万物がさせている。怒っている音を出しているのは誰かと聞かれても、謎解きみたいだなあ。怒れる人なのか、本に出ていた造物者のような天のえらい人、そんなはずはない、天の人は怒らないはずだ。だったら人間か。怒れる人は愚かだと言いたいのか? 難しくてよくわからない。

 交通機関では、荘子=超俗の境へ、蜂屋邦夫 を読んでいます。

 
posted by kurage0147130 at 21:39| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

2015/11/16(Moonday) 月が出ていますか???



2015年11月16日(月)

老子 岩波文庫ワイド
p78~81 第17章

 荘子も注釈で読みたいと思うので、まず老子から癖をつけようと注釈を丁寧に読んでみた。結構楽しいです。学がないのでよくわかりませんが、じっくり取り組みたいです。荘子は、岩波文庫版とちくま学芸文庫をいつか比べてみたい。

 第17章は、支配者のあり方を述べたのだと思う。最高の支配者は、存在しか知らない空気のように人民に気づかせないくらい自然な政治をする人。次が皆が親しみをもって褒め称えるくらいの支配者。次が、畏れをもつくらいの支配者。親しみを持つ人の方が畏れをもつ人より上に来ている。最後はバカにされるくらいの支配者。

 支配者は言葉少なく慎重なくらい、を理想とするみたい。

 人々が何かをしても自分たちの力のせいだと思うくらいの、陰になってくれるような支配者を理想とするらしい。という僕の勝手な迷訳でした。

 支配者が表に立ち、引っ張ってやろうと押し付けがましく、上から目線ではダメだと言いたいのだろう。今の政治にも言えると思う。今回の話には、道とか、心とか出てこなかったなあ。たしかに、政治がいちいち気になるようでは困ると思った。


老子と太極拳 17章 p65~68


 この本は、老子の言葉を全部太極拳に変換している。空気のような支配者は、存在しているだけの武術家で力を誇示せず赤子のように武術ができてしまう。

 親しみのある支配者は、才能を褒められるような武術家。

 畏れられる支配者は、対立が表に出て、道からは外れた人。世間によくるタイプらしい。

 最後はバカにされるよな支配者。老子の成功は社会的な成功でも、円満家庭でもよく、世間の評価ではなく自分がやるべきことをやることらしい。そして、調和の中に生き、自然体であることが条件らしい。またまた、変な意訳を作りました。ちゃんちゃん。ぶぶー(おならの音)。
posted by kurage0147130 at 21:35| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月14日

2015/11/14(Sat)

2015年11月14日(土)
荘子Ⅰ 中公クラシックス
内篇 第2斉物論篇
p23~25

 地の奏でる音楽について言っている。大木の穴に風が吹き付けて鳴ることについて、穴の形・音の様々な違いを言い方を様々に変えて表現している。楽しい文章。文学的だなあ。
posted by kurage0147130 at 22:11| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月13日

2015/11/13



2015/11/13(Fri)

老子 岩波文庫ワイド

p73~77 第16章
 注釈を読んでも何のことを言っているのかわからないや。??
 道を言いたいのかな。ただ、道を知れば、危ういことはなく安泰だとは言いたいらしい。



老子と太極拳 16章 p61~64

 根とは体の修行の事らしい。常が普通のことで、道も普通のこと。


 引用:「常」を知れば、あらゆるものを受け入れる(容)ことができる。一体となることができるというのである。
 太極拳において練られるのは「常」たる「自然な動き」なのである。~


 引用者(kurage0147130):

 老子は太極拳抜きにはわからないということでしょうか。切っても切れない。

 老子16章は、太極拳のことを言っているのでしょうね。わからんけれど。心と身体の使い方というか、バランス、統一を言いたいのかもしれません。

 僕は抑圧していて、心身のバランスは傾いています。抑圧の元となったように、母に俺は男だと大声で言う(心の中で)は、抑圧した時を逆に再現していて、効果的かもしれません。


僕の勝手な理解ですが、太極拳を練って、無の状態になって、容(空っぽの容器みたいなもの)に身体と心がなって、心身の密接なバランスの取れた状態になることは、良い事なのではないでしょうか。??
posted by kurage0147130 at 20:27| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月12日

2015/11/12 ( midnight to 13th )


2015年11月12日(木)

荘子Ⅰ 中公クラシックス
内篇 第2斉物論篇
p22~23



 南郭子綦(なんかくしき)である先生は、弟子の顔成子游(がんせいしゆう)の前で茫然自失してしまう。そのわけを、天の奏でる音楽を聞いたことがないだろうと、謎めいたことを言う。道を知っている南郭子綦だからの言葉なのだろう。茫然自失も道と関係があるのか? と、適当な訳を中公クラシックスを読みながら書きましたが、


荘子 内篇 ちくま学芸文庫の注釈を買い読んで理解するようにしないといけないのかもしれません。明日本屋へのぞきに行く予定。わかったようでいて、何もわかっていないというのが正直なところなので。


 太極拳をやったら、道はわかるようになるのでしょうか? ボケていますが素朴な疑問です。道とは関係なく、太極拳はやりたいです。実は欲もあります。この欲が邪魔するかも、邪魔するなら長年やることで解決するかも。道は執着する心ではなく、こだわらない自由な境地らしいのは、老子と太極拳を読みながら思った。
posted by kurage0147130 at 23:28| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015/11/12( midnight of 11 )



2015年11月11日(水)


老子と太極拳

p56~60 第15章

引用p57:~「道を保つ者は、みつるを欲せず」
 と、している。なにかを極めようとすることで、おおいなる道とひとつになることはできない、というのである。「みつる」とあるのは、知識でも、技巧でも、極限まで極めることである。あることを極めたはてに、究極の境地に入って、道とひとつになれるように思う人が多いかもしれないが、それはまちがいなのである。


p58
~太極拳でも、套路を繰り返して練習をするのは同じであるが、それは個々の技を、自らの心身に固定させるのではなく、繰り返して套路を練ることで、技のひとつひとつを消してしまうためである。これは、いうならば技の流動化である。~


引用者kurage0147130  : ここを読んで、太極拳のイメージがつかめたと思った。僕は型を覚えるとか、学問みたいに積み上げるのは苦手だけれど、流動的で、心の世界みたいに古い心の部分みたいなのを使うのであれば、技を消すという使い方であれば、僕が食い込む余地もありそうな気がする。
posted by kurage0147130 at 00:58| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月10日

2015/11/10



2015年11月10日(火) glasses

荘子Ⅰ 中公クラシックス
内篇 第1逍遥遊篇
p19~21


 大木があってコブがあって墨で線を引けない(材にならない)。小枝も定規が当てられない。無用の木だと。
 ヤマネコは元気がいいが、ネズミを追いかけ罠にかかったり網に跳び込んだりしてしまう。
 野牛は、デカイがネズミをつかまえられない。
 大木が役に立たないと嘆くけれど、広漠の野原に植えて昼寝でもしたらどうだい。★引用:~たとえそれが無用のものであっても、少しも困ることはないよ。:引用終わり★


引用者(kutage0147130 : 最後の引用した個所を読んでスッキリしたしホッとした。無用だとしても少しも困らないと。無用肯定の意見で、意味をなさないものを否定せず、そのまま肯定しているというか、受け入れている。むしろ積極的に良いところを見ている。無用でもいいじゃないかと。おもしろいな。

 100de名著でこの話取り上げられた気がするけれど、気のせいか??

 最後の部分を読んでカタルシスがあった。)


荘子=超俗の境へ (講談社選書メチエ) 、蜂屋邦夫

が昨日届いて、今日から交通機関で読みだした。

 原本の教科書を読んでいるところなので、この本の解説を読むのは楽しい。原本のぜんぶの解説ではなく、所々だろうけれど、こういうふうに勉強するのかとは思う。できないけれど。一つ一つのお話に、注がついたらおもしろいのに。


老子 岩波文庫ワイド
p66~72 第15章
 完成しないから取り組める。道を歩むもののことなのか。解説が欲しい。よくわからない。

老子と太極拳
眠くて割愛。いずれ書きます。


posted by kurage0147130 at 22:58| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月09日

2015/11/09

2015年11月9日(月)
荘子Ⅰ 中公クラシックス
内篇 第1逍遥遊篇
p16~19

(kurage0147130の理解)

 王様かなんかにヒョウタンの種をもらい植えたらバカでかいのがなり、水を詰めても持ち上がらず、割ってみたけれど、柄杓(ひしゃく)にも平らすぎて利用できなかった。それで割ってしまった。

 荘子はこれを聞いて言った。あかぎれ薬を作る人がいて、旅人が高い金で作り方を買うという、薬を作る人は薬を作っても大した金にならないのに、このような大金になるならと喜んで教えた。

 旅人は別の王様に、あかぎれ薬の効能を言った。王様は将軍として雇った。冬に王様と別の国が戦った時に(おわかりでしょうが)あかぎれ薬のおかげで勝ち戦になった。王様は将軍に褒美として土地をやった。

 あかぎれ薬でも、作る人と、旅人のように教えてもらう人とのように明暗が分かれてしまう。
 最初の男に荘子は、ヒョウタンを湖に浮かべたらいいではないかと提案した。ヒョウタンを育てた男は頭が硬いねと、荘子は言った。


 一つの方法でダメなら、別の角度から眺め、別の方法でアプローチすればいいではないか、というのが言いたいことなのかと思った。?? もっと別の考えがあるのか。



2015年11月9日(月)
老子 岩波文庫ワイド
p61~65 第14章

 道のことについて言っているらしいのですが、見えず聞こえず触れずの小さいものだから、一つとして見るみたいな、捉えることができないそうです。最後に道について言っているが、古いとか今とかよくわからない。
 解説書を読まないとわからない。

老子入門 楠山春樹
p119~122

 この本を読むと、やはり道について書いているらしい。道を表すのに、小さい単位を持ち出したりしたらしい、??。
 いまいち道のイメージがないので、言っていることもわからない。解説書が必要だ。
 そして、何も知らないのに、この本を愚弄したことをここにお詫びします。作者の楠山さん・ごめんなさい。僕はバカです。

老子と太極拳

 この本では、瞑想についてだと書いてある。見ることや聞くことやとらえることに、とらわれない瞑想の境地らしい。

 神秘体験への注意書きもある。神秘にとらわれるのは危険だと。特別な体験としてこだわるのはまずいと。

 気持ちの良い太極拳、恍惚も正しくやれば、こだわりから解放されるとある。そこまでたどり着けるか? 
最近やっていない。
posted by kurage0147130 at 22:07| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月08日

2015/11/08

2015年11月8日(日)
荘子Ⅰ 中公クラシックス
内篇 第1逍遥遊篇
p13~16



 小さい人の価値観で大きい人のことを理解することはできない。ということを言いたいのだろうか。
 小さい人は小さい中で活動していて、大きい人の価値観やスケールを理解するのは不可能だ。大きい人の陣地に分け入り、生活を共にしないと直感で洞察できないだろう。大きい人の価値観に立ってみることでしか小さい人に大きい価値観は理解不能だと思う。小さい人は感覚がふさがれているというようなことを書いてあった。知恵についての盲や聾だと。

 知恵がないなら、

プロフェッショナル 仕事の流儀 量子物理学者 古澤明の仕事

をツタヤ宅配レンタルで見たのだけれど(アマゾンで、放送の内容は文字化されてkindleで読めるようになっている)、根性で乗り切るしかないかも。能力がなくても、粘り勝ちという手は確かにあるかもしれない。

 大きいものも、大きいと言って、あぐらをかけない。小さいもののことも気にかけ、理解し、共に歩む必要はあると思う。大きくても開かれてなければ、真の大きさにはならないだろう。



2015年11月8日(日)
老子 岩波文庫ワイド
p55~60 第13章

 執着することはいけないと言いたいのだろうか。執着すれば固まると、何かに書いてあったっけ? たしかにこだわりは、流動性を阻(はば)み、活動体の動きを奪う。何に対しても謙虚に対応し、動き続けるためには、執着は良くない。


 執着すれば、関わることはできると思うけれど、止まっているから、成長できないし流動性がなく、停滞が待つと思う。停滞すれば、停止することなので、しばらくお休みだ。元凶になる可能性は高そう。



老子と太極拳

 太極拳は、開かれたシステムで、心身を一つと考えるとか。閉じないというのは、やはり執着しないということから起きるのか?

posted by kurage0147130 at 22:50| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする

2015年11月07日

2015/11/7



2015年11月7日(土)

荘子Ⅰ 中公クラシックス
内篇 第1逍遥遊篇

p11~13
 うまくいっているのに、その政治の代役を務めることはしない。なぜ、前任がうまくいっているのを、後任を立ててまで代わる必要があるのかと。そのような内容らしい。必要以上のものは要らないと。必要以上のことをやるのは良くないことだ、無駄で要らぬことだと言いたいらしい。



池田知久 p26~28
52篇本『荘子』の完成

 荘子という文章のテキストが今の形で残るためには、流れがあったらしい。事細かに分析・分類されている。僕にとっては難しい話だ。


2015年11月7日(土)

老子 岩波文庫ワイド
p52~54 第12章

 食欲、眼の欲、音楽の欲など、程度を越えて必要以上に求めることは良くないと言っているのだと思う。確かに、必要以上の追求は、外れているし、病的な場合もある。

 節制とは言っていないけれど、欲求追求よりは、節制の方が健康的だと思う。



老子と太極拳

p46~48
腹・内に向かうエネルギーを採って、目・外に向かうエネルギーを棄てるという、解釈もあるらしい。太極拳の目で老子を見ると、随分違ってくるみたいだなあ。
posted by kurage0147130 at 22:37| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする
リンク集