2016年02月09日

老子 35章 道の宣伝文句みたいな気がする。


2016年2月9日(火)

老子 蜂屋邦夫 岩波文庫ワイド
第35章 p165~168

 蜂屋先生の訳を読んでみて、道を守る人は人が好意を寄せ、それに応えられと。世の中も良いと。
 音楽と食べ物には旅人も足を止める。道が指す言葉は味がなく、見えず、聞こえないけれど、汲めども尽きない泉のようだ、と僕は理解しました。だいぶいい加減な理解かもしれませんが、転載するよりは自分の言葉で書きました。

 このように道を体得すると良いことがたくさんありますよ、と言っているらしい。注を読みながら理解した。今日は頭に入る良い日だった。ありがたや。いつもは文字が頭に入らない日もある。



老子の講義 諸橋轍次 大修館書店
p73~74

「これは、道の働きの偉大なことを述べたものである。」とあるので、引用した。

 諸橋先生の訳が理解しやすいなあ。載せないけれど。僕は、老子の道が口に上(のぼ)っても味わいがないと意訳した。諸橋先生の本当の訳を読んでもわかりやすかった。

 道の言葉を見ようとしても、聞こうとしても足らず(このへん怪しい受け取り方、僕の理解だなと思うけれど。見よう・聞こうがどこからかかっているのか主語がよくわからないや。)、でも尽きることがない、と書いてあると理解した。




老子と太極拳 清水豊 ビイング・ネット・プレス
p125~129

 道に至るための太極拳、その他の拳法でも道に至ることができる。太極拳は、道に至るためのシンボルで、太極拳は道への手段だと、理解した。

 この冒頭の言の後、拳法のことが長々と書いてあるけれど、わかるけれど、拳法に疎い僕には腑に落ちるという理解はできなかった。僕は太極拳初心者の前段階ですから。手の円運動しか知らない。


posted by kurage0147130 at 20:59| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする
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