2016年02月23日

老子 38 / 荘子について

2016年2月23日(火)
老子 蜂屋邦夫 岩波文庫ワイド
第38章 p176~183

 蜂屋先生の訳を読むと、最初のところ、

「高い徳を身につけた人は徳を意識していない。そういうわけで徳がある。低い徳を身につけた人は徳を失うまいとしている。そういうわけで徳がない。」
とある。


 僕はこの低い徳の人だな。この2つの対比の形で途中まで進んでいく。

 僕は自意識過剰で、自分から離れないので、この低い徳の人のような状態だ。


 蜂屋先生の訳の最後のところの引用、

「そういうわけで、りっぱな男子は、道に即して純朴なところに身をおき、誠実さが欠けた薄っぺらなところには身をおかない。道に即して充実したところに身をおき、華やかなあだ花には身をおかない。~」
引用しました。最後の最後は省略。


 道を身につけた人はフラフラしないでしっかりし、心身が実像を描いていて虚がなく、充実した人なのだなあと思った。貧乏しそうだけれど。

 これ以上は時間を使わないで次回へ続く。



2016年2月23日(火)
老子・荘子  森三樹三郎 講談社学術文庫
p404 ここまで読み進めた。よくわかっていない。

 引用:森三樹三郎:p404:「~言葉は筌蹄(せんてい)のようなもので、真理を捕えるに必要な道具である。だが、真理そのものではない。ところが多くの場合、人びとは道具にすぎない言葉を、真理そのものと誤認する過ちを犯しやすい。だから真理を知ると同時に、言葉は忘れてしまえ、というのである。




引用者:kurage0147130:荘子の言葉のあと、説明で森先生が書かれた箇所。言葉が何かも忘れ、真実と思ったり、実際の方を忘れたり、僕のいい加減な使い方を指摘している。他の人にも思い当たるところがありそうだなと思った。(余計なお世話か)

posted by kurage0147130 at 20:56| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする
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