2016年03月05日

老子 39章続き   2016/3/5(Sat)

2016年3月5日(土)
老子の講義 諸橋轍次 大修館書店 1973
39章
p83~87
 諸橋先生は3つに分けて説明しています。
 また引用をつまみ食いのように勝手にもって来ます。


(引用:p84:諸橋轍次:
「この章は、老子の得一の思想を述べている。一とは、一元気であり、陰陽の未だ分かれざるものを意味する。従って、そこには、差別もなく、彼此もないのであって、延(ひ)いては万物一体観にも説き得るし、又これを徳とすれば、老子のいう玄同の徳となるのである。」
と引用しました。)


二つ目のまとまりの説明を、
(引用:p85:諸橋轍次:「この一節は、一を得ざる場合の弊害を述べたものである。」と引用しました。)



また、文中わかっていなかったことを、諸橋先生の説明でわかった気になりました。


(引用:p86:諸橋轍次:
「~車を例に取って見ると、車の輪・車の軸と、その部分部分に差別をつけて、一つ一つ数え上げれば、そこには車という本質は出て来ない。それらの車輪・車軸などを、まとまった一つのものと考えてこそ、初めて車の本質が出て来る。~」
と引用しました。)



引用者:kurage0147130:
車の説明は、わかりやすかったです。蜂屋邦夫先生の訳の時にはわからなかったことを教えてもらいました。この車の説明は面白いです。木を見て森を見ず、みたいな内容かなと思った。細かく見ても、全体もみてやらないと何のことを言っているか迷子になってしまう。僕のいい加減な読書のことを言っているようでもあります。


 最初の39章の全体説明引用は、この章の総括でわかった気になる。用語がわからず、イマイチわからない。検索してみて、玄同とは、深妙な道と一体になること、みたいな内容らしいな。調べてもよくわかっていない。



老子と太極拳 清水豊
p139~141


(引用:p140~141:清水豊:
「~太極拳ではただひとつの套路を練って、八卦拳のような段階を設けていない。数十もの動作を含む太極拳の套路は、一見すると多くの技のつらなりのように見えることであろうが、最後には、一連の「ひとつ」の動きへと還元される。

 八卦拳の走推掌は、ひとつの動きをひとつのシンボルとしている。一方、太極拳では、一連の動きをひとつのシンボルとしてとらえるのである。一連の太極拳の套路が、「ひとつのもの」と感じられたとき、その人の心身は「一」へと還元されている。」

と引用しました。)




引用者:kurage0147130:道のことが何も見えていず、太極拳もやっていないので、さぼっている、何も言えない。でも、道とはこういうことなのだろうと漠然とイメージしている。きっと、体得するまでわからないのが続くのだろう。わかった気になるのも恐い気がする。清水先生の文を引用させてもらいました。
posted by kurage0147130 at 20:40| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする
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