2016年03月08日

荘子 27 斉物論篇の最後



2016年3月8日(火)


荘子Ⅰ 中公クラシックス 森三樹三郎
内篇 第二 斉物論篇
p73~74
27
 胡蝶の夢、と言われるものです。斉物論篇最後の27番。


(引用:p73:森三樹三郎:
「<栩栩然(くくぜん)>楽しげなさま。 <遽遽然(きょきょぜん)>ありありと、はっきりしているさま。」)

、と引用しました。おもしろい表現ですね。訳を全文載せたいけれど転載になるのでやらない。



(引用:p74:森三樹三郎:
「~胡蝶はそのまま荘周である。したがって、どのような変化がおとずれても、自分が失われることはない。

生きている自分があるとともに、死んでいる自分がある。

人生だけを現実とみるのは差別の立場であり、人生もまた夢とみるのが無差別の立場である。なぜなら、万物斉同の理においては、夢と現実との区別はないからである。~」



、と引用しました。




引用者:kurage0147130:有名な奴です。ここはすごいのでしょう。鮮烈な印象があります。訳を載せないのは残念だけれど、本で読んでね。自分の夢の中の蝶と、蝶の中の自分の夢なのか区別がつかないと、ぼやかして、区別を取っ払ってしまう強引さというか強烈さがある。

 未来世紀ブラジル?だったかの映画の最後のシーンもこれが出典なのではないかと思う。

 2千年くらい前の人間が考えたものが、現代の人間にも届くという、昔の人間も今と同じくらいすごくて劣っていたなどと言えない不思議さがある。


 僕は、荘子と老子に触発されたいという願望から続けている。本を触媒にして化学変化を起こしたい、自分がどのように反応するか、知恵をもらいたいという思いです。何度も書きましたが、死について、それほど恐れるものでもないのかなという、嬉しい変化というか、感応というか、死へのイメージの変化がありました。これは、

荘子=超俗の境へ、蜂屋邦夫、講談社選書メチエ252、2002

に、影響を特に受けました。嬉しい触発です。
posted by kurage0147130 at 21:36| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする
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