2016年03月16日

老子 40 続き



2016年3月16日(水)


老子の講義 諸橋轍次 大修館書店 1973
40章
p87~88

(引用:p87:諸橋轍次:
「~ この章は、有が無から生じたものであることを述べ、同時に、消極の道が積極の道の基本であることを説いている。
 我々は積極の世界に住んでいると、出かけていくことが本当の活動であると考えているが、実は反(か)えるということが、真の道の姿である。~」)

と、つまみ食い引用しました。



引用者:kurage0147130:道というのは、諸橋轍次先生の訳のように、反える、というのが真の姿なのかなあと漠然と思う。悟ったり、会得するというより、道に帰っていく、回帰のようなものかなと。間違っているだろうか?


(引用:p87~88:諸橋轍次:
「~その言葉を用いれば、反は静であって、静が道の動を導く根本だとの説明ともなって来るのである。その説を更に敷衍(ふえん)すれば、性命の本に反(か)えることが、道心の働く基礎であるとも説き得るのであって、その意味は極めて広い。~」)

と、引用しました。

引用者:kurage0147130:道は動らしいけれど、静によって導かれるとある。母なる道に帰ることなのか? これは曲解かなあ。 



老子と太極拳 清水豊 ビイング・ネット・プレス

第40章 p142~145

(引用:p144:清水豊:
「~ また、昨今の太極拳でも「柔」が重視され、「剛」が説かれることがない。しかし、太極拳の「柔」も、本当は「剛」を知らなければ分かりはしないのである。ただ、「硬」や「剛」の修練は、容易ではない。かなり細かな心身の調整が必要となる。」)

と、引用しました。



引用者:kurage0147130:柔も剛が必要とか。よくわからないけれど、対立の言葉がないと基本として成り立たないみたい。どちらかだけでなく、両方あって太極拳なのだろうか。難しい話の気がする。マスターするのは難しいとあるので、難しいのだろう。





posted by kurage0147130 at 09:18| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください
リンク集