2015年11月18日

2015/11/18(水泳日)ではなくて(水曜日)



2015年11月18日(水)

老子 岩波文庫ワイド
p82〜84 第18章

 道が廃れてから仁義が説かれるようになった、とあるけれど、政治が乱れて政治ってなんだとなったとも言えると思う。国家が乱れて忠臣が現れるようになった、とも書いてある。聡明な新しいスター(泥臭くていい)が欲しいとは思う。



老子と太極拳 p69〜72

引用:清水豊: 

八卦拳の宮宝斉先師は、〜 質問をしてもまったく套路を思い出せなかったという。しかし、起式から始めると、一套の動きを、迷うことなく行うことができたのであった。こうした状態は、套路の執着から逃れていることの、ひとつの例として考えることができよう。



引用者:kurage0147130:僕は記憶力が悪く、認識力も弱い、だから、この先生みたいに名前と照らし合わせて覚えるのは苦手だ。流れとして覚える方が僕に向いているやり方だ。
posted by kurage0147130 at 21:17| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

2015/11/17(Tue)

2015年11月17日(火)

荘子T 中公クラシックス
内篇 第2斉物論篇
p25〜26


p26 引用:森三樹三郎:〜
 だが、ひるがえって考えてみると、風のないところでは、洞穴も音を立てない。つまり地上のざわめきは、音のない風を必要とするのである。音もなく目にも見えない風、その意味では無にもひとしい、風が必要なのである。いいかえれば、万物の根源には、無のはたらきがある。


引用者:kurage0147130:天籟は万物がさせている。怒っている音を出しているのは誰かと聞かれても、謎解きみたいだなあ。怒れる人なのか、本に出ていた造物者のような天のえらい人、そんなはずはない、天の人は怒らないはずだ。だったら人間か。怒れる人は愚かだと言いたいのか? 難しくてよくわからない。

 交通機関では、荘子=超俗の境へ、蜂屋邦夫 を読んでいます。

 
posted by kurage0147130 at 21:39| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

2015/11/16(Moonday) 月が出ていますか???



2015年11月16日(月)

老子 岩波文庫ワイド
p78〜81 第17章

 荘子も注釈で読みたいと思うので、まず老子から癖をつけようと注釈を丁寧に読んでみた。結構楽しいです。学がないのでよくわかりませんが、じっくり取り組みたいです。荘子は、岩波文庫版とちくま学芸文庫をいつか比べてみたい。

 第17章は、支配者のあり方を述べたのだと思う。最高の支配者は、存在しか知らない空気のように人民に気づかせないくらい自然な政治をする人。次が皆が親しみをもって褒め称えるくらいの支配者。次が、畏れをもつくらいの支配者。親しみを持つ人の方が畏れをもつ人より上に来ている。最後はバカにされるくらいの支配者。

 支配者は言葉少なく慎重なくらい、を理想とするみたい。

 人々が何かをしても自分たちの力のせいだと思うくらいの、陰になってくれるような支配者を理想とするらしい。という僕の勝手な迷訳でした。

 支配者が表に立ち、引っ張ってやろうと押し付けがましく、上から目線ではダメだと言いたいのだろう。今の政治にも言えると思う。今回の話には、道とか、心とか出てこなかったなあ。たしかに、政治がいちいち気になるようでは困ると思った。


老子と太極拳 17章 p65〜68


 この本は、老子の言葉を全部太極拳に変換している。空気のような支配者は、存在しているだけの武術家で力を誇示せず赤子のように武術ができてしまう。

 親しみのある支配者は、才能を褒められるような武術家。

 畏れられる支配者は、対立が表に出て、道からは外れた人。世間によくるタイプらしい。

 最後はバカにされるよな支配者。老子の成功は社会的な成功でも、円満家庭でもよく、世間の評価ではなく自分がやるべきことをやることらしい。そして、調和の中に生き、自然体であることが条件らしい。またまた、変な意訳を作りました。ちゃんちゃん。ぶぶー(おならの音)。
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2015年11月14日

2015/11/14(Sat)

2015年11月14日(土)
荘子T 中公クラシックス
内篇 第2斉物論篇
p23〜25

 地の奏でる音楽について言っている。大木の穴に風が吹き付けて鳴ることについて、穴の形・音の様々な違いを言い方を様々に変えて表現している。楽しい文章。文学的だなあ。
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2015年11月13日

2015/11/13



2015/11/13(Fri)

老子 岩波文庫ワイド

p73〜77 第16章
 注釈を読んでも何のことを言っているのかわからないや。??
 道を言いたいのかな。ただ、道を知れば、危ういことはなく安泰だとは言いたいらしい。



老子と太極拳 16章 p61〜64

 根とは体の修行の事らしい。常が普通のことで、道も普通のこと。


 引用:「常」を知れば、あらゆるものを受け入れる(容)ことができる。一体となることができるというのである。
 太極拳において練られるのは「常」たる「自然な動き」なのである。〜


 引用者(kurage0147130):

 老子は太極拳抜きにはわからないということでしょうか。切っても切れない。

 老子16章は、太極拳のことを言っているのでしょうね。わからんけれど。心と身体の使い方というか、バランス、統一を言いたいのかもしれません。

 僕は抑圧していて、心身のバランスは傾いています。抑圧の元となったように、母に俺は男だと大声で言う(心の中で)は、抑圧した時を逆に再現していて、効果的かもしれません。


僕の勝手な理解ですが、太極拳を練って、無の状態になって、容(空っぽの容器みたいなもの)に身体と心がなって、心身の密接なバランスの取れた状態になることは、良い事なのではないでしょうか。??
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2015年11月12日

2015/11/12 ( midnight to 13th )


2015年11月12日(木)

荘子T 中公クラシックス
内篇 第2斉物論篇
p22〜23



 南郭子綦(なんかくしき)である先生は、弟子の顔成子游(がんせいしゆう)の前で茫然自失してしまう。そのわけを、天の奏でる音楽を聞いたことがないだろうと、謎めいたことを言う。道を知っている南郭子綦だからの言葉なのだろう。茫然自失も道と関係があるのか? と、適当な訳を中公クラシックスを読みながら書きましたが、


荘子 内篇 ちくま学芸文庫の注釈を買い読んで理解するようにしないといけないのかもしれません。明日本屋へのぞきに行く予定。わかったようでいて、何もわかっていないというのが正直なところなので。


 太極拳をやったら、道はわかるようになるのでしょうか? ボケていますが素朴な疑問です。道とは関係なく、太極拳はやりたいです。実は欲もあります。この欲が邪魔するかも、邪魔するなら長年やることで解決するかも。道は執着する心ではなく、こだわらない自由な境地らしいのは、老子と太極拳を読みながら思った。
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2015/11/12( midnight of 11 )



2015年11月11日(水)


老子と太極拳

p56〜60 第15章

引用p57:〜「道を保つ者は、みつるを欲せず」
 と、している。なにかを極めようとすることで、おおいなる道とひとつになることはできない、というのである。「みつる」とあるのは、知識でも、技巧でも、極限まで極めることである。あることを極めたはてに、究極の境地に入って、道とひとつになれるように思う人が多いかもしれないが、それはまちがいなのである。


p58
〜太極拳でも、套路を繰り返して練習をするのは同じであるが、それは個々の技を、自らの心身に固定させるのではなく、繰り返して套路を練ることで、技のひとつひとつを消してしまうためである。これは、いうならば技の流動化である。〜


引用者kurage0147130  : ここを読んで、太極拳のイメージがつかめたと思った。僕は型を覚えるとか、学問みたいに積み上げるのは苦手だけれど、流動的で、心の世界みたいに古い心の部分みたいなのを使うのであれば、技を消すという使い方であれば、僕が食い込む余地もありそうな気がする。
posted by kurage0147130 at 00:58| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月10日

2015/11/10



2015年11月10日(火) glasses

荘子T 中公クラシックス
内篇 第1逍遥遊篇
p19〜21


 大木があってコブがあって墨で線を引けない(材にならない)。小枝も定規が当てられない。無用の木だと。
 ヤマネコは元気がいいが、ネズミを追いかけ罠にかかったり網に跳び込んだりしてしまう。
 野牛は、デカイがネズミをつかまえられない。
 大木が役に立たないと嘆くけれど、広漠の野原に植えて昼寝でもしたらどうだい。★引用:〜たとえそれが無用のものであっても、少しも困ることはないよ。:引用終わり★


引用者(kutage0147130 : 最後の引用した個所を読んでスッキリしたしホッとした。無用だとしても少しも困らないと。無用肯定の意見で、意味をなさないものを否定せず、そのまま肯定しているというか、受け入れている。むしろ積極的に良いところを見ている。無用でもいいじゃないかと。おもしろいな。

 100de名著でこの話取り上げられた気がするけれど、気のせいか??

 最後の部分を読んでカタルシスがあった。)


荘子=超俗の境へ (講談社選書メチエ) 、蜂屋邦夫

が昨日届いて、今日から交通機関で読みだした。

 原本の教科書を読んでいるところなので、この本の解説を読むのは楽しい。原本のぜんぶの解説ではなく、所々だろうけれど、こういうふうに勉強するのかとは思う。できないけれど。一つ一つのお話に、注がついたらおもしろいのに。


老子 岩波文庫ワイド
p66〜72 第15章
 完成しないから取り組める。道を歩むもののことなのか。解説が欲しい。よくわからない。

老子と太極拳
眠くて割愛。いずれ書きます。


posted by kurage0147130 at 22:58| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月09日

2015/11/09

2015年11月9日(月)
荘子T 中公クラシックス
内篇 第1逍遥遊篇
p16〜19

(kurage0147130の理解)

 王様かなんかにヒョウタンの種をもらい植えたらバカでかいのがなり、水を詰めても持ち上がらず、割ってみたけれど、柄杓(ひしゃく)にも平らすぎて利用できなかった。それで割ってしまった。

 荘子はこれを聞いて言った。あかぎれ薬を作る人がいて、旅人が高い金で作り方を買うという、薬を作る人は薬を作っても大した金にならないのに、このような大金になるならと喜んで教えた。

 旅人は別の王様に、あかぎれ薬の効能を言った。王様は将軍として雇った。冬に王様と別の国が戦った時に(おわかりでしょうが)あかぎれ薬のおかげで勝ち戦になった。王様は将軍に褒美として土地をやった。

 あかぎれ薬でも、作る人と、旅人のように教えてもらう人とのように明暗が分かれてしまう。
 最初の男に荘子は、ヒョウタンを湖に浮かべたらいいではないかと提案した。ヒョウタンを育てた男は頭が硬いねと、荘子は言った。


 一つの方法でダメなら、別の角度から眺め、別の方法でアプローチすればいいではないか、というのが言いたいことなのかと思った。?? もっと別の考えがあるのか。



2015年11月9日(月)
老子 岩波文庫ワイド
p61〜65 第14章

 道のことについて言っているらしいのですが、見えず聞こえず触れずの小さいものだから、一つとして見るみたいな、捉えることができないそうです。最後に道について言っているが、古いとか今とかよくわからない。
 解説書を読まないとわからない。

老子入門 楠山春樹
p119〜122

 この本を読むと、やはり道について書いているらしい。道を表すのに、小さい単位を持ち出したりしたらしい、??。
 いまいち道のイメージがないので、言っていることもわからない。解説書が必要だ。
 そして、何も知らないのに、この本を愚弄したことをここにお詫びします。作者の楠山さん・ごめんなさい。僕はバカです。

老子と太極拳

 この本では、瞑想についてだと書いてある。見ることや聞くことやとらえることに、とらわれない瞑想の境地らしい。

 神秘体験への注意書きもある。神秘にとらわれるのは危険だと。特別な体験としてこだわるのはまずいと。

 気持ちの良い太極拳、恍惚も正しくやれば、こだわりから解放されるとある。そこまでたどり着けるか? 
最近やっていない。
posted by kurage0147130 at 22:07| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月08日

2015/11/08

2015年11月8日(日)
荘子T 中公クラシックス
内篇 第1逍遥遊篇
p13〜16



 小さい人の価値観で大きい人のことを理解することはできない。ということを言いたいのだろうか。
 小さい人は小さい中で活動していて、大きい人の価値観やスケールを理解するのは不可能だ。大きい人の陣地に分け入り、生活を共にしないと直感で洞察できないだろう。大きい人の価値観に立ってみることでしか小さい人に大きい価値観は理解不能だと思う。小さい人は感覚がふさがれているというようなことを書いてあった。知恵についての盲や聾だと。

 知恵がないなら、

プロフェッショナル 仕事の流儀 量子物理学者 古澤明の仕事

をツタヤ宅配レンタルで見たのだけれど(アマゾンで、放送の内容は文字化されてkindleで読めるようになっている)、根性で乗り切るしかないかも。能力がなくても、粘り勝ちという手は確かにあるかもしれない。

 大きいものも、大きいと言って、あぐらをかけない。小さいもののことも気にかけ、理解し、共に歩む必要はあると思う。大きくても開かれてなければ、真の大きさにはならないだろう。



2015年11月8日(日)
老子 岩波文庫ワイド
p55〜60 第13章

 執着することはいけないと言いたいのだろうか。執着すれば固まると、何かに書いてあったっけ? たしかにこだわりは、流動性を阻(はば)み、活動体の動きを奪う。何に対しても謙虚に対応し、動き続けるためには、執着は良くない。


 執着すれば、関わることはできると思うけれど、止まっているから、成長できないし流動性がなく、停滞が待つと思う。停滞すれば、停止することなので、しばらくお休みだ。元凶になる可能性は高そう。



老子と太極拳

 太極拳は、開かれたシステムで、心身を一つと考えるとか。閉じないというのは、やはり執着しないということから起きるのか?

posted by kurage0147130 at 22:50| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月07日

2015/11/7



2015年11月7日(土)

荘子T 中公クラシックス
内篇 第1逍遥遊篇

p11〜13
 うまくいっているのに、その政治の代役を務めることはしない。なぜ、前任がうまくいっているのを、後任を立ててまで代わる必要があるのかと。そのような内容らしい。必要以上のものは要らないと。必要以上のことをやるのは良くないことだ、無駄で要らぬことだと言いたいらしい。



池田知久 p26〜28
52篇本『荘子』の完成

 荘子という文章のテキストが今の形で残るためには、流れがあったらしい。事細かに分析・分類されている。僕にとっては難しい話だ。


2015年11月7日(土)

老子 岩波文庫ワイド
p52〜54 第12章

 食欲、眼の欲、音楽の欲など、程度を越えて必要以上に求めることは良くないと言っているのだと思う。確かに、必要以上の追求は、外れているし、病的な場合もある。

 節制とは言っていないけれど、欲求追求よりは、節制の方が健康的だと思う。



老子と太極拳

p46〜48
腹・内に向かうエネルギーを採って、目・外に向かうエネルギーを棄てるという、解釈もあるらしい。太極拳の目で老子を見ると、随分違ってくるみたいだなあ。
posted by kurage0147130 at 22:37| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月06日

2015/11/06

2015年11月6日(金)
荘子T 中公クラシックス

内篇 第1逍遥遊篇
p9〜11


 小さな人は、小さな器の中で踊り、大きな器のことはわからない。
内にある自己と外にある世間の評価とが無関係であることを知り(引用)、ということは、自己を確立して、影響を受けないということ。

真の栄誉と真の汚辱とが何であるかの区別を明らかにしているという(引用)、ということは、同じく自己を確立していて、本当に大切なことがわかり、やってはいけないことも見えている人だということだろう。
列子が風にのって遊んでいる、の箇所は何を言っているかわからない。(最後の部分)



池田知久 p24〜

『史記』荘子列伝に現れた10余万言本『荘子』

 良くわかりませんが、紀元前150年ごろのことを言っているのでしょうか、そのころからの50年間に、大量の文章が書きおろされたり集められたりしたとあります。紀元前100年には、10万語になっていたとか。現在の33篇本は約6万5千語らしいです。
僕にはあまり興味がわかない話ですが。


2015年11月6日(金)
老子 岩波文庫ワイド
p50〜51 第11章

 スポークや車輪の空洞のところ、器の空洞なところ、戸や窓のある部屋のそれら空洞なところ、それらがあるから、車輪や器や部屋として成り立ち有用だ、みたいなことらしい。空洞があるから役立ち使える、らしい。


 歌なら、全部自分の色に塗りつぶさず、聞き手である聴衆のことを頭に入れ、聴衆が色を塗れるように空白を残して歌う、みたいなことだと思う。


老子と太極拳

p43〜45
 歌の例と似ているけれど、心・足・掌に無がないと、套路を練っても意味がないと。有だけでは生きてこないらしい。難しくてわからないや。

posted by kurage0147130 at 21:20| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月05日

2015/11/5

2015年11月5日(木)
荘子T 中公クラシックス
内篇 第1逍遥遊篇
p8〜9

 でかい魚とまた鳥が出てきて、鳥のでかさを言った後、それを見たウズラがでかすぎて無用だみたいなことを言う。ウズラは飛ぶとは小さく飛ぶことででかい鳥はバカみたいだと。さいごに、小さいものと大きいものの分かれ目があると書いてあった。

 読んでの感想は、大人物のことは、僕みたいな小人には所詮理解できないと。小さいものは小さい生活の中に埋まって、大きいもののことのすごさが見通せないと言っていると感じた。自分の小人物だという指摘はありがたい発見の気がする。

前段、p22〜24
戦国時代末期までの『荘子』と荘子
引用:荘子の人物と思想は戦国時代末期には広く知られるようになっていたと思われる。

引用者:そういうことらしいです。文献を読んで組み立てるなどというところまでは、僕には及ばないです。



2015年11月5日(木)
老子 岩波文庫ワイド
10章 P45〜49
 ここは大事なところだ。いろいろ言っている。こざかしいところがなく、心の状態を平静でいられるのか、みたいないろいろが書かれている。訳文を載せたいけれど、転載になるのでやらない。でも、1行だけ。


引用:心と身体とをしっかり持って合一させ、分離させないままでいられるか。

引用者kurage0147130:(ここだけの意味でも、僕は心が飛んで上の空になることがたびたびだ。こういうことも言っている。僕には難しい相談だ。できるとしたら、現実にいまに全力を傾け続けることだと思う。でも、気を込めすぎるのは良くないね、と思う。僕も父と同じで執着が強い。



老子と太極拳

p40〜42
 あらゆるものが未出現の先天の世界に、「1」を抱いて離すことのないのが、嬰児だと。この世界を目指すらしい。引用と、僕の理解がごっちゃになった変てこな文になりました。
 そして忌むべきものは、自然の流れに逆らうことらしい。僕は受け入れず、肩に力を入れ、執着している、忌むべき存在かもしれない。



老子入門 楠山春樹
 この本の、老子8章の部分を見たけれど、どうも信用できない。昨日からだけれど、この本は役立たずだと言えると思う。学のないものの意見でした。
posted by kurage0147130 at 19:01| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月04日

2015/11/4

2015年11月4日(水) ctrl+マウスのスクロール→文字大になる
荘子T 中公クラシックス
内篇 第1逍遥遊篇
p7〜8


 大きな知恵、長い寿命にはかなわない。大木の長い年月を生きる力に、人間の短い寿命であれこれいうのは、寿命という点から見て、負けているし論じることができないと。大きな知恵や寿命を持つものが、語る資格がある、と理解した。大木や智者にその資格があると。
 もしそうなら僕のようなバカで、知の少ないものはどうしたらいいだろう。知恵のある人の意見を聞く、知の少ないなりに努力する。知の少ないものとして、全力を挙げて取り組もうとする姿勢くらいはもてるだろう。

知の少ないものに語る資格がないとは思えない。全力を挙げれば資格はあるだろう。自覚して、考えることだ。見劣りがしても、自分なりの意見くらい持てるだろう。間違っていても。

前段 p21〜22
荘子と老子の関係
 著者は別物と言いたいらしい。



2015年11月4日(水)
老子 岩波文庫ワイド
p42〜43

第9章 

 何事も保持していくことはできない。無くなったり劣ったり減ったりする。だから、保とうと考えないことだ。成し遂げたものがあるなら、退くことも考えるということらしい。と感じた。
 移り変わりを意識し、絶頂の満腹状態に留(とど)まろうとしないことだ。小さくなったり無くなることを意識せよみたいなものかな。すごくわかりやすく感じる。


老子入門 楠山春樹 講談社学術文庫
p175
 満ちた状態で退いたり、欠けないために最初から満ちようとしない、などの論が書いてあるけれど、小さい話でコセコセした発想でとても老子について論じているとは思えない。
 この本、今日届いた。



きのう買った本に、

老子と太極拳 清水豊 

p37
引用:持つことに執着しなければ、失うものなどなにもない

 いくら貴重な金や玉であっても、度を過ぎると、これを有効に使うことができなくなる、


引用者kurage0147130 :(このような理解もあった。金玉の部分に焦点を当てて理解しようとしている。執着、持たないがキーワード。確かに絶頂と没落に関しても、執着しないで、維持しようとしなければ、風に吹かれてどこまでも行けるし、心に風が吹き込むだろう。
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2015年11月03日

2015/11/3



2015年11月3日(火) ctrl+スクロール→文字でかくなる

荘子T 中公クラシックス

p20〜21 荘子の活動年代
紀元前300年代 戦国時代中期ということらしい。学問的に特定しようとしたらしい。


荘子 内篇 第1逍遥遊篇
P6〜7 三
 小さいものに、大鵬の千里の空に上るものの気持ちがわかるはずはないと。小さいものは、三度の食事に戻っても大したことはないけれど、千里をゆく者は三か月も前から食料集めをしなければならないから、とかいう内容だった。この理解は正しいか? 丸写しなのか? 言いたいことがわからない。でかいものを持ち出し、小さいものと比較を始めた。そういう比較は妥当なのか? よくわからない。文章途中なのがいけないのかもしれない。



2015年11月3日(火)

老子 岩波文庫ワイド

第8章 p39〜41

 水は誰もが嫌がる低いところに落ち着く、というような表現は有名なやつだったと思った。100de名著を読んだけれど、何も覚えていないや。僕は鶏と同じで、3歩あるくと全て忘れる。そこに出ていたか、そのTVでやった気がする。

p41 四 居善地 
ここに、置かれた状況に抗わず、そのままそれに従うという水の性質を手本とした生き方を述べている、とある。(引用)



 僕は調子の悪いとき、妙に撥ね返そうとし、反抗的に、好戦的になる。これはやはりよくないや。状況に従って、冷静に見て、戦力だけを出して、周りの状況を感知していくだけでいいのかも知らない。変に突っ張らかるのは、僕が負けに負けているからだろう。
posted by kurage0147130 at 22:04| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月02日

2015/11/02



2015年11月2日(月)

荘子T 中公クラシックス

内篇 第1逍遥遊篇
p4〜6
引用:*九万里の上空にある大鵬の目から見れば、地上のさまざまな色は消えうせ、ただ青一色があるだけである。荘子の根本的立場である万物斉道(せいどう)、絶対無差別の境地を暗示している。

引用者(kurage0147130:この説明を聞くと、何について書いてあるかぼんやりわかるようになる。でもよくわかっていない。お話として成立しているけれど、暗示している言いたいことがあることになる。思想を示すために、お話の力を借りているのかもしれない。よくわからなかった。)



2015年11月2日(月)
老子 岩波文庫ワイド
p37〜38

第7章

 なんか哲学的だ。長生きしようとか、どうにかしようとしないから、長生きしたり、さきに行ったりすることになるとか。自分に拘泥せず、執着しないことが自分や世界を回すことになると言いたいのではないかと感じた。面白い言い方だった。(本当に言いたいことを僕が理解しているかは不明、自信がない)
posted by kurage0147130 at 20:10| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月01日

2015/11/01



2015年11月1日(日)

荘子T 中公クラシックス
p17〜18 『史記』荘子列伝

司馬遷の荘子に関する記述が正しいかは不明らしい、と書いてあるみたい。読んで益になることは何もない。なので、本編も読もう。



荘子内篇 第一 逍遥遊篇 p3〜4


 スケールの大きな話だ。幾千里もある大きな鳥が6月もかかってやっと南の海に移動できるとか。大きい話過ぎて何を言おうとしているのかわからない。



2015年11月1日(日)

老子 岩波文庫ワイド

第六章 p34〜36

 女性器のことについて書いてあり、卑猥な感じの記述だ。相変わらず何も言おうとしているのかわからない。日本の古事記みたい。(良く知らないのだけれど)



p363〜364 解説
老子という人物

 これを1ページずつ読んでいこう。良くわからない本なので。
posted by kurage0147130 at 19:54| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月31日

2015/10/31 2015/10/31(Sat)


荘子・中公クラシックス

2015年10月31日(土)
p15・16 重厚と軽妙との交錯

引用p16:
〜重厚の源である自己の内に向かって沈潜していく下方向と、軽妙の源である自己の外に向かって飛翔していく上方向とが、結局のところ、まったく同一のポイントに向かって進んでいる、〜「道」を目指している、ことから来るように思われる。



引用者(kurage0147130):
 菜根譚とは違い、実用書というより、言いたいことがあって、考えもあって、それに向かって表現を変えながら迫っていくみたいな、哲学の本なのかなと想像した。僕は何もわかっていない。

 内面に向かう方向と、外に向かう方向の両方向で書かれているらしい。この訳者が、感じていたことなのだろう。



老子 岩波文庫ワイド
2015年10月31日(土)

p31〜33 第五章

 天地も聖人も仁愛などないと言っている。天地も聖人も何のことかはっきりしないし、仁愛もはっきりしないけれど、殺伐とした、冷たく突き放した世界にいるのだなと感じる。でも相変わらず、何を言いたいのかわからない。

 なんだかわからないので、昨日はインターネットをダラダラし、検索して、アマゾン、bookoff、駿河屋の本を調べ、

老子と太極拳、
老子入門(講談社学術文庫)

を買ってみた。本に金をつぎ込むのは気にしていない。僕の趣味はないので金はかからない。
 

posted by kurage0147130 at 21:02| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月30日

2015/10/30(金曜日)


荘子
2015年10月30日(金)

前段p13〜15:逍遥遊の世界

本文:p10引用

〜というのも、内にある自己と外にある世間の評価とが無関係であることを知り、真の栄誉と真の汚辱とが何であるかの区別を明らかにしているという、このひとことによるのである。〜


引用者:周りに引きずり回されない、自分自身の自己を持ち、その自己も執着ではなく、その前の文にもあったけれど、もっと大きなものに向かっていくという、道(タオ)とかいうらしいものへと進む、自己に限定されない、飛翔する人らしい。僕は自分の日常に振り回され、負けているけれど、日常の生活を笑えるようになれたら、この本を読み終わる時は大きなものに揺られるようになれればと妄想が広がる。



老子

2015年10月30日(金)

p27〜30 第四章

 p27引用: 知恵のするどさを弱め、知恵によっておこる煩わしさを解きほぐし、知恵の光を和らげ、世の中の人々に同化する。


引用者:世間の人に知恵によってすぐれようとするのではなく、同化する。特別なものを求めず、ただの人になる。他の部分は難しくて理解できない。抽象すぎるともいえる。この本は解説がなく、理解のガイドラインがないので、初心者の僕には難解だ。いい本ないか? 
posted by kurage0147130 at 21:42| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月29日

2015/10/29(Thu)

荘子:

荘子T 中公クラシックス
2015/10/29(Thu)
前段〜p12
ここまで読んで、p44を参照せよとあるけれど、これを読んでの感想は、例えば女性について。女性を得たとしても自分の孤独や問題は何も変わらない。環境は変わる。ややこしくなるかもしれない。女性女性と大騒ぎしているけれど、かえって限定されてしまうかもしれない。女性やパパになることをもうちょっと調べたい。
 p32を参照せよとあるけれど、たしかに毎日あくせくして、何に憑りつかれているというのだ。作業所だ、目標だと騒ぐけれど、人間の中での暮らしで、最小単位の家族の中での暮らしだ。僕は何を急いで、何を焦るのか。どうあがいても生活を送っているだけだ。毎日バカ騒ぎをしているに過ぎない。バカ騒ぎをどうすれば降りられるのか。
 暮らしがあるのみだ。


老子:

老子 岩波文庫ワイド
2015年10月29日(木)
p18
 シネマ歌舞伎 籠釣瓶花街酔醒 を見てきたけれど、スターの中村勘九郎?と坂東玉三郎がいる。この人たちは確かに必要だ。けれどわき役に楽しませてもらった。わき役の人達がけっこう頑張っていた。スターと脇役。どちらがいいというわけでもない。両方が必要だ。全員で、松竹歌舞伎だ。だれがどうというわけではない。みんなで舞台を作っている。裏方まで含めて、全員での舞台で、観客も舞台を作っている。観客に見せるために興業はある。映画館で見た僕も、ライブではないけれど舞台を作っている。映画の僕も支えている。だから僕にも発言権はある。せこい発想だけれど。
p24第三章
 新聞日曜日の本のコーナーの島田雅彦へのインタビューで今の政治は極右だとあったけれど、それなら今の状態を表せているなと思った。僕は政治に疎く自分の意見はないけれど、過激な展開には恐ろしさを感じる。穏便な政治というのは今の時代に無理なのかもしれないけれど、その方向を政治に期待している。今の体制にはついていきたくないと感じる。批判はあるでしょうが僕の感じ方になります。
posted by kurage0147130 at 20:11| 北海道 ☔| Comment(0) | 荘子・老子の読書感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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